バーあけみのママ

猪飼 やす子(いがい・やすこ)

タイトルにある”あけみのママ”は、明美ちゃんのお母さんのことではない。”バーあけみのママ”である。バーを開店していたのは、ある人の生きている世界の中で、である。


本学博士後期課程在学中、病棟の夜勤のみを担当する夜勤専従看護師をしていた。ある日、重症のせん妄であるパウロさんが入院された。アルコールの過量摂取を長らく続けてきたパウロさんは、コミュニケーションが難しく、排泄はトイレがわからず、夜になると出かけようとした。パウロさんは、夜も昼も眠らなかった。その行動は、夜な夜な飲み歩いていたことを彷彿とさせ、パウロさんの人生が見え隠れしていた。


せん妄への薬効は乏しかった。そして、パウロさんは眠らなかった。このままでは命に関わるかもしれない、パウロさんが夜間、確実に眠るためにどのように接近すればよいか、と考えていた。夜が近づき、そわそわし始めたパウロさんが言った。「バーあけみに行く」。パウロさんは今まできっと、”バーあけみ“で愚痴を言い、孤独や悲しみを大量のアルコールで癒してきたに違いない。”あけみのママ”なら信穎関係が構築できるかもしれない、と思った。ナースステーションをバーだと思い込んでいるパウロさんが「ねえ、ママ」と声をかけてきた時、私は”あけみのママ“になることに決めた。「どうしました?」と答え、次のような会話が続いた。


パウロ「ママお水ちょうだい。そしてビール」
私「ビールはないけれど、お水はあリますよ」
パウロ「冷たくておいしいよ。ママ、今日何時に帰るの?」
私「朝8時半に帰リます。あ、このカウンターの先は入らないでくださいね」
パウロ「売リ上げの金があるんだろ。気をつけて」


信頼関係が少しずつ築かれ始めた。病棟看護師は、”あけみのママ”の背景にある聖路加のPeople-Centered Careを理解していた。ある夜、バーあけみに行こうとするパウロさんに「今日、ママはお休みだから、今夜は家で寝て欲しいんです」と伝えた。パウロさんは「夜は寝ないよ」と言いながらも睡眠薬を飲み、朝まで眠った。翌朝、見当識の回復が見られた。こうして毎日、睡眠薬の使用と睡眠状況、生活活動へのケアが続けられた。パウロさんは夜眠るようになり、昼は活動し、排泄はトイレで行い、入院の方々と笑顔で話す姿があった。聖路加のPeople-Centered Careは、その人らしさを支える看護を創出しながら、今日も生きている。

Profile

2020年大学院博士課程修了。聖路加国際大学教員(老年看護学)。学士3年次編入担当。

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