現在の企画展示

「聖路加看護教育の100年」 知と感性と愛のアート
第2回 戦中、戦後の苦難 ~興健と名を変えて~

期間:2023年6月5日~2023年12月28日(予定)

本企画展示は、2021年1~3月に立教学院展示館で開催された聖路加国際大学100周年記念展示の再現展示(第2回)です。


立教学院での展示期間はCOVID-19の緊急事態宣言下のため入場制限を設けるなど自由に見学できない状況でした。そのため、本企画展での再展示において分割展示をいたします。第2回の今回は「戦中、戦後の苦難」として戦時下の聖路加についてご紹介します。

展示資料(抜粋)

戦争 興健と名を変えて

戦時下、軍部による強い指導のもと、聖路加女子専門学校は「興健女子専門学校」と改名し、非常時の救護訓練を行っていました。1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲時には、学生、教職員は火の粉が降る街頭に出て、鉄兜に身を固め、寝食を忘れて負傷者の救護活動に努めました。

「興健」と名を変えた校舎入口前での記念撮影

戦時下の救護訓練中の学生

1. 学校担架隊の編成資料

橋本校長を報国隊長とし、学校担架隊(生徒)を編成した手書き編成資料
国の閣議決定により学内に編成された報国隊は、空襲時などにおいて救護活動に出動しました。

2. 生徒歌「われらの使命」

 1943年2月11日発表 橋本寛敏校長作詞、日野原重明作曲の「生徒歌」
この歌は戦意高揚を図るために作成され、担架訓練時に歌われました。

3. GHQによる病院と校舎の接収

病院、校舎が接収され、病院屋上の旗ポールには星条旗が翻っていました。

4. GHQによる校舎接収後、GHQ主導で聖路加と日本赤十字社との合同看護教育開始

第1回東京看護教育模範学院卒業生
1946年6月GHQの発案および指導により聖路加と日本赤十字社救護看護婦養成部が合同で看護婦教育を行う「東京看護教育模範学院」が設置され、全国の看護婦学校の模範(モデルスクール)としての目的と役割がありました。

2021年1月~3月に立教学院展示館において聖路加看護教育100周年記念展示を行いました。その時の様子をご紹介する動画をこちらからご覧いただけます。

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