「聖路加看護教育の100年」 知と感性と愛のアート
第1回 聖路加看護教育のはじまり(1920~1939年)

期間:2022年6月7日~2022年12月28日

本企画展示は、2021年1~3月に立教学院展示館で開催された100周年記念展示のリバイバルとして企画しました。

立教学院展示館での会期中は、COVID-19の緊急事態宣言下のため自由にご観覧いただけませんでした。このたび、本展示室においてじっくりご覧いただくべく、改めてテーマ・時代ごとに分割して展示いたします。

第1回は「聖路加看護教育のはじまり」として、開校から教育体制が充実していく戦前期についてご紹介します。

展示資料(抜粋)

聖路加看護教育のはじまり

聖路加の看護教育は、1904年に「荒木いよ」が聖路加病院内で行った看護教育に端を発します。その後、1920年に病院附属高等看護婦学校を開設しました。

1927年、本科3年・公衆衛生看護等を選択する研究科1年を併せ持つ、4年課程の「聖路加女子専門学校」となりました。

その高い教育レベルゆえ、今日の日本の高等看護教育は聖路加で始まった、と評されています。

1. 「聖路加国際病院高等看護婦学校」(学校案内)[1921年]

沿革、設立目的、入学心得、学科一覧、入学時の準備物などを掲載。「この学校の希望目的は本邦における看護法の標準を向上せしむるにあり」と記載されており、開設当初より日本全体を視野に入れた看護の質向上を目指していたことを示している。

2. 『聖路加女子学園会報』[1931年]

1930年代に創刊した同窓会会報。現在確認できる最も古いものは第2号(1931年刊)で、卒業生に向けたトイスラーのメッセージが掲載されている。

3. 「聖路加女子専門学校入学志願者案内書」[1928年度]

専門学校に昇格し、1年の研究科が増設されている。卒業後に聖路加国際病院への就職を義務付けず、広く社会で活躍することが期待されていることを示している。

4. 5. 聖路加女子専門学校校舎[1933年]

1933年に新病院・校舎が完成した。東側一棟がすべて看護婦学校の校舎兼寄宿舎に充てられた。

6. アーツルーム内部[1933年]

病院と同じ環境での実技演習が行える環境が整えられた。

7. 寮内部[1933年]

全寮制の生活の中で、自らを律することを厳しく教育された。

8. 「聖路加女子専門学校入学の栞」

1935年に本科を4年制とし、公衆衛生看護の教育を強化した。1936年頃作成された本しおりでは、アーツルームほか充実した教育施設が写真で紹介されている。

9. 「公衆衛生看護学講習要覧」[1938年]〔『聖路加看護教育の100年』p92〕

本科が4年制となり1938年に研究科が廃止されたため、公衆衛生看護を学ぶ他校出身者の受け皿として本講習を開講した。本学がいかに公衆衛生看護婦(のちの保健婦)育成事業に力を入れていたかを示す。

10. 1924年卒業生

1924年11月に卒業した2期生10名。前年の関東大震災で校舎・病院が全焼したが、再建された木造校舎・病院で学び、無事に卒業した。
右から3人目は、のちに本学主事となる湯槇ます。

11. 授業風景(解剖学)[1930年]

解剖学の授業では、臓器を観察するなど医学的な知識の修得も充実していた。

12. 授業風景(公衆衛生看護)[1930年]

公衆衛生看護の授業。聖路加国際病院の公衆衛生看護婦と同じ茶色のユニフォームを着て実習した。

13. 授業風景(ベッドメイキング)[1932年]

黒板に看護記録の書式が英語で書かれている。当時の聖路加国際病院の記録用紙と同じ内容。

14. 1936年研究科卒業生

1933年に新校舎が完成すると、卒業式の際に1階にあったマントルピースの前で記念撮影するようになった。このマントルピースは1996年竣工の現校舎にも移設されている。

2021年1月~3月に立教学院展示館において聖路加看護教育100周年記念展示を行いました。その時の様子をご紹介する動画をこちらからご覧いただけます。

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