最後のブルーギャングス

中村 奈緒子(なかむら・なおこ)

旧カリキュラムでの学びも、伝統の真っ青なユニフォームを着るのも最後の学年のClass of 1998として、新旧両方の校舎で学生生活を送りました。自分たちの学生生活を記録に残そうと有志ビデオ隊で貴重な映像を記録しました。タイトルは当時の作品名です。

大学で一番学んだことは、「専門職者としての言動に根拠を持つ」ことだったと感じています。演習記録や実習記録へ先生方から書かれた「Why?」に応え、数々のグループワークやディスカッションを通して、常に看護には根拠が必要であると学びました。卒後教育を聖路加国際病院で受け、学生時代の学びを継続できたことも、私の看護人生にとって重要な一部分でした。なぜなら聖路加国際病院では、根拠が明確であれば良いものを採用する組織としての柔軟性があり、誰もが挑戦し成長できる環境でした。しかしながら、経験年数が増すにつれて、医師とディスカッションする知識や技術が無いことに直面し、自分の看護に自信が持てなくなりました。そんな時にアメリカの大学院にはNurse Practitioner (NP)という上級実践コースがあることを知り、進学を決意し、NPプログラムでの学びが始まりました。

NPプログラムでは、より一層「Why」を突き詰めて、Evidence-based medicine (EBM)に基づく意思決定の訓練を行いました。NPとして言語も習慣も異なる国で、プロバイダーとして医療を提供することに魅力を感じ、資格•免許を取得後に呼吸器科外来で慢性疾患患者の診療にあたりました。その中で、何においても患者個人を尊重し、EBMを実践し、説明を尽くした上で、治療的な関係を築くことがとても大切であることを感じました。医療制度も異なるため、必要な検査や治療が受けられず、費用の面から患者から治療の拒否を受けることもありました。これまで病院という組織で一看護師として働いていた時には関わりが少なかった、医療制度という、行政の存在を大きく認識した時でした。

NP2年目が終わろうとしてた矢先に、母の介護のために日本へ帰国することになり、現在はグローバル企業の医療機器メーカーでメデイカルマーケティングの仕事をしています。「個人的な健康上のニーズをお持ちの方々の生活をより快適に」という企業目的の下、海外本社とのやり取りをしながら、医療従事者を通して患者へ製品を届けるための臨床的なサポートを行っています。製品と製品に関連した医療知識はもちろんのこと、診療報酬制度に関する知識も必要とされ、今改めて日本の医療制度を学びながら、医療従事者の方々へ臨床情報を届け、時には教育の一端を担うこともあります。

聖路加での学びは、職種や場所を変えてもずっと、私自身の専門職者としての拠り所となっています。

Profile

Class of 1998。CCメディカルマーケティングスペシャリスト。コロプラスト株式会社勤務。

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