心ささえる聖路加の言葉

山川 由祈子(やまかわ・ゆきこ)

看護教育100周年、誠におめでとうございます。


私は、その中の4年間を聖路加看護大学で学べたことを誇りに思いますし、その学びが、看護職として40年間仕事をするうえで、大きな支えとなってきたことに、心から感謝しております。


私は、2018年3月、東京都世田谷区の行政保健師を定年退職後、引き続き、保健福祉領域に関する助言の仕事をしています。


大学時代には、先生方から「看護はサイエンスであり、アートである」、「看護学は人間学」、「病を見るのではなく、患者さんという人を看るのです」、「最善を尽くしなさい。その上で何をすべきか考えなさい」、「卒業したら、聖路加で学んだことを社会にお返ししなさい」等々、心に響く多くの言葉を教えていただきました。


私は、大学卒業直前になっても、看護師、助産師、保健師等、どの仕事をしていくのか、決断できない状態でした。恩師から、「まず、病棟看護師として看護の基礎を学びなさい。そしてその仕事の中から自分の将来の仕事を見つけ出しなさい」とアドバイスをいただき、1980年4月、聖路加国際病院4A(外科系)病棟看護師として第1歩をスタートしました。


2年間、病棟で救急看護、終末期看護と貴重な経験をし、「看護とは何か」という本質的な問題を考える機会となりました。事故で意識不明になった息子さんを毎日見舞うお母さまから、胸の内の不安や悲しみをうかがった時、「お医者さんは傷や病気を治してくれますが、家族の心を癒してくれるのは看護婦さんですね」と泣きながらお話しされた言葉も忘れられません。


その人に寄り添い、信頼関係を築いて、より健康で幸せな人生を送るための意思決定を一緒に考え、前向きに生き始めた方々からの「あなたと出会えて良かった」という言葉は、私が仕事をするうえで一番嬉しく、働き続ける力になってきました。


そして私は、病気になる前の予防の仕事に携わりたいという思いを強くするようになり、1982年4月から行政保健師をしています。


聖路加時代の言葉は、看護職として仕事を進めるヒントとなり、仕事の幅を広げてきました。時には、失敗して悩み、壁に突き当たっても、諦めないで仕事を続けていく原動力になってきたと思います。


もうすぐ仕事から離れる時がきますが、その後の人生でも、「聖路加で心に響いたたくさんの言葉」は私が前向きに生きていくため、心の支えになり続けていくと思います。

Profile

Class of 1980。世田谷区保健福祉政策部参与。旧姓は小堀。

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