チャペルの出来事

滝本 淳子(たきもと・じゅんこ)

私は1984年、他大学を卒業してから聖路加国際病院に就職し、2年間勤務しました。自分自身「看護とは何か」を模索している中、大学を備えた病院なら看護についてもっと深く学べると思い、就職しました。就職してからは新人研修、看護や疾患の勉強など、知識と技術の習得に精いっぱいの毎日を過ごしていたことを思い出します。


そんな新米看護師の頃、私が今でも深く心に残っている思い出があります。それは40歳代の男性患者さんで、事故で頚椎を損傷され首から下が全麻痺となった方を受け持った中での出来事でした。受傷されて1か月近く寝たきりの生活を過ごされ、私が受け持ちになることも多く、今までの生活や仕事などいろいろな話を聞かせていただけました。彼はそんな不自由な体になってしまったのに、愚痴や弱音を漏らすこともなく、家族や看護師に感情的に当たったりすることなどまったくありませんでした。若い私に教えて聞かせるような口ぶりで、ただただ優しく強い方だなと思っていました。


しばらくして車椅子にも乗れるようになり、二人でチャペルまで散歩することになったある日のことでした。静寂の中、無口になった二人がマリア様に見入っていると、ふいに日野原重明(※)先生が私たちのそばへ近寄ってこられたのです。先生は私たちのことを、ずっとどこからか見ていてくださったのでしょう、すべてを察しておられたように思われました。当時すでにご高名だった先生にお会いでき、私はとても感激していたのですが、その先生が彼の手に優しく触れて「お元気になられて、本当に良かったですね」と声をかけられたのです。その瞬間、彼は、じっと耐えていた心の決壊が切れたかのように、目を潤ませ、ひとすじの涙をこぼしました。そしてその後しばらくは何も言われず、ただ泣いておられました。


私はその日野原先生のさりげない優しさへの感動を今でも忘れません。そして気丈にしていた彼の、心の淵に閉じ込めていた深い悲しみを見た気がしました。若かった私には表面しか見られず、患者さんの心を察することはできませんでした。患者さんに寄り添うということは、こういうことなんだと感じました。


私は日々の業務に忙殺されながら、今も病棟看護師を続けています。しかし、あの荘厳なチャペルでの出来事は、私に看護師として生涯を貫かせる覚悟をくれたように思います。聖路加で学んだことは私の原点です。

Profile

看護師。「倉敷医療生協水島協同病院」勤務。1984年から2年間、聖路加国際病院4A病棟勤務。旧姓は渡辺。

日野原重明(1911~2017)
1937年、京都帝国大学卒業。1941年より聖路加国際病院勤務。1974~1998年、聖路加看護大学第2代学長。1992~1996年、聖路加国際病院院長。日本の臨床医学・医師教育のみならず看護教育の発展に尽力。

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